2004年5月の連休・・・大阪ブームが沸き立っていて、1.出発から三島まで
旅団の人々は翌日東京出発であったが、一足先に大阪へ鉄路で向かう。
青春18きっぷはゴールデンウィークには使うことができない。
単に夜行快速で行くのはつまらないので、
以下の強行時程で、旅をエンジョイしてみた。
勘とムダ知識をたよりに、目的観の無い旅行が好きなので、前日にようやく時刻表を買う。朝から起き抜けに、宿の予約を取ろうとしたが、支度をするだけで精一杯だった。とにかく大阪市内の格安ホテルの一覧表をPCから プリントアウトした。2.静岡横断から名古屋入り
前日に調べた結果と知識と憶測から、三島からだとこだまなら座れるようだ。とにかく、荷物をそろえ、10:30の快速アクティーに乗るべく、慌ただしく家を出た。 船堀9:59発の各駅停車に乗り込んだ。10:25くらいに、東京駅に到着。慌ただしく、総武線の地下ホームで撮影用フィルムを買って、 東海道線のホームでおにぎりとお茶を買い、乗り込んだ。座席は確保できなかったが、これもいずれ座れるだろうからと、先頭車の乗務員室裏にて、 走行風景を堪能することにした。
とにかく東京駅まで急ぐ
親子連れが多いから、そう遠くまで乗っていないだろうと思っていたが、横浜乗り換えの乗客がかなり多かった。 座席を確保。運転台後ろの座席をキープ。しかし、213系は高運転台なので、前面の景色がよく見れない。 そこで眠ろうとしたが、興奮していたのか、寝付けなかった。熱海での乗り換え時間がわずかだということをわかっているので、 それも寝れない原因を作っている。
平塚を過ぎてくると住宅街から離れだし、ようやく東海道らしい景色が広がってきた。 パラパラ乗客が降りて行くが、いつまでも降りない学生がいた。 おそらく文科系のマスターなのだろう。くだらない宗教うんちくを垂れていた。 年齢を見ても20歳はとっくに過ぎている感じだった。 日本人の典型的な宗教観を垣間見る気もしたが、悲しい哉、まだまだ根強いものがあるんだと 思った。 小田原を過ぎると、近郊の景色から更に閑散とした景色へと変わった。 関西方面への旅行に欠かせない「ムーンライトながら」の 夜行景色とは違う景色が広がった。 根府川あたりから海岸線が近づき始めた。 かの有名な鉄橋を通過し、かつて来たことのある湯河原の景色を見ている間に、熱海へと到着。
快速アクティーの停車駅
慌ただしい乗り換えが始まる。接続時間はたったの1分だ。乗り換え相手もやはり213系だったが、運転台が違う。 あきらかにJR東海仕様だった。乗り換え時間が短いくせに、結構乗り換え客が多いらしく、4両の電車は通勤ラッシュ並みに混んでいた。 列車は函南到着まで既に3分の遅れがでていた。乗客を積み込むのに時間を喰ったからだ。
その混雑ぶりに勘弁してくれ、と思いながら、電車は非情にも函南のトンネルを通過していく。 トンネルが長く、都内の地下鉄に乗るのと同じ感覚だった。 三島で少しのんびりと一服でもするかと、思っていたが、こだまとの乗り換えができるようなので、 降りるや走り出し、新幹線ホームへと直行した。しかし、ここでの下車客はかなりあった。 修善寺方面に行く乗客が多いからなのだろうか、それならば、 アクティーの三島へ延長運転を望みたいが、ここの管轄はJR東海なのだ。 スムーズな乗り換えができない。馬喰町で発行された切符は、ここまで来ると精算に 手間取るらしく、乗り換え時間の短縮のために、引き換え証を渡され、着駅で精算するように言われた。
三島で新幹線に乗り換える
新幹線の写真でも撮るか!と思っていたが、フィルムを装填している暇がなかった。 そうこうしていると、200系のこだまがホームに入ってきた。 自由席はここまで来ると空いているものである。とにかく窓側の座席に座り、靴を脱いで くつろぐことにした。海側は景色がよいので、埋まっていたが、山側は空いていたので、2席陣取る。3.名阪その1
それにしても新幹線は速い。こだまでも充分だと思った。時刻表をめくりながら、東京駅で買った おにぎりとお茶を飲む。旅にでると食が進む理由は何なのだろうか。 昆布のおにぎりとペットボトルのお茶なのに、うまい。 山林を切り開いたところに、時に茶畑が広がる。 青い景色は目を休めることになる。 富士、静岡、掛川と、のぞみとひかりをやり過ごしながら、こだまは西へ西へと向かっていく。 東海道の景色で一番いいなと思うのが、鉄橋を渡るシーンである。 天竜川、富士川、安倍川、これらは日本の美しさのままだ。 さらにいい景色といえば、左に海、右に浜名湖近辺である。 新幹線にしてみればわずかな時間だが、浜辺の磯松の絶景はここ以外に有り得ないと私は思う。
広い静岡県内はこだま号で横断し、距離を稼ぐ
静岡県内は、工業も盛んだということがよく分かる。大企業の工場があるからだ。 そしてこだま号は豊橋に到着した。下車でもしてゆっくりと駅前を満喫したいところだが、 ここでも乗り換えがすぐなのだ。新快速にでも乗っていきたいところだが、旅費軽減と、私鉄研究の種にと 飯田線ホームへと向かう。新幹線と在来線の乗り換え口で精算をする。 係員に切符を差し出すと、 「馬喰町?・・・えー馬喰町、馬喰町・・・」 としばらくマップに目を落とし、指を路線図上にクネクネし、あえて私が何も言わないようにしていると、 ようやく東京だとわかったらしく、別シートを取り出し、金額を電卓に叩き始めた。 そして、精算済みの引き換え証が渡された。 通路を行くと、奥に飯田線兼用の名鉄ホームがあった。
名豊インターバンとしての役割は、ここで垣間見ることができるが、東京では間違っても 競合路線---JRとの線路の共用は有り得ない。ラッチが共通になっているが、精算は大丈夫なのだろうか。 いらぬ心配をしてしまう。毎時6本という運転制約があるのも、ダイヤ趣味からすると味がある。
ホームには急行のパノラマカーが停車していて、これにも乗ってみたかったが、 高速運転を堪能できないので、次の特急に乗ることにする。 東京では馴染みの無い特別車と普通車の区分けも面白い。
豊橋〜伊奈は線路をJRと名鉄で共用するが、
豊橋では名鉄専用のホームが存在する
列車を待っていると別ホームから単行の飯田線が出発、転線して行った。 豊川までは頻発運転しているようだ。 そうこうしている間に、目当ての特急がホームに入ってきた。 大騒ぎするようなパノラマカーも、岐阜寄りの普通車はどうということも無い。
発車間際になって、 列車を背にシャッターを切ってくれと、初老の男が声をかけてきた。 俺は、この列車に乗るんだよ・・・。と思いながらも親切に応対してさしあげた。
ようやく着席をすると、親子連れが乗ってきた。名古屋にいくのだろう。 電車が発車をすると、徐行運転をしながら、飯田線との共用区間を走行する。当然、飯田線の駅、 下地、船町は通過扱いだが、それにしても徐行運転は今一つだ。 ご丁寧にも、乗務員室との妻面の上には乗客用のデジタル速度計があり、 45km/hあたりをウロウロしていた。
飯田線との分岐点である信号所を通過すると、一気に速度を上げ始めた。 分岐後、名鉄の本線に入るが、すれ違う伊奈着の列車が引込み線に上がるところだった。 それにしても、伊奈から豊橋に行くのに不便ではないか? と思うのは私だけではあるまい。
沿線は、一戸建ての住宅がむやみに多い。東京でいうなら、東武東上線の上板橋あたりの景色が 東松山まであるような感覚だ。すれ違うどの列車も軒並み4両、ないし2両である。 短編成にもかかわらず、これで事足りていることが不思議な感じだ。 短いホームはなんとなく、ミニ私鉄という感じがあるが、 それでいて駅舎も車両も近代的で立派な大手私鉄だ。 東岡崎、知立と停車していく。高速化のため、直線がほとんどだが、意外にもアップダウンも多い。 名古屋市内に入ってから、高さのある建物が増えてきた。神宮前、金山と停車。 ここからは、趣味のものから言わせると、味ある路線になる。
なんといっても名鉄ネットワークは多岐にわたり、枝別れした各方面から特急、急行、普通の 列車が新名古屋をめざすことにある。新名古屋に近づくほど、超過密ダイヤとなり、高度で緻 密な列車ダイヤが要求される。しかも名鉄はそれを複線と島式、対向式の3面2線というわずかな構成の 新名古屋でそれをやらなければならないのである。となりの近鉄は地下ホームにも関わらず、 余裕のホーム数、線路容量なのに、なぜ名鉄はこの道を歩むのだろうか。せめて2層式に すればよいのに、と思うのは私だけではあるまい。
次に乗る近鉄との乗り換え時間が余りない。そこで走ることにした。 降車側ホームを降りると、一目散に改札をめざした。目指したが。近鉄名古屋はどこだ・・・。 改札とホームをうろうろし、急いで乗ることは断念し、次のアーバンライナーに乗ることにした。 ゆっくりと歩いて、近鉄名古屋のホームをみると、特急券売り場は、ものすごい人だった。 連休だし無理もない。4.名阪その2
この調子では、その次の名阪特急も乗れなさそうなので、仕方が無く、だらだら急行で行き、 あわよくば、鳥羽からの阪伊特急に乗り込もうという寸法だった。 発車案内を見ると、15:01発、伊勢中川行きがあった。伊勢中川で快速急行に連絡すれば、 特急に抜かれず、なんとか鶴橋までは持つだろうという考えもあったのだ。
とりあえず桑名までの切符を買って、電車に乗り込む。立ち席だ。ここまでくるとかなり、 大阪の感じになってくる。初の近鉄だ。感動。 まもなく地上にでて、急行らしく通過運転だ。車内も関西弁が普通に聞こえてくる。 四日市を過ぎるあたりまで、立ちつづけなければならなかった。ラビットカーと言われるこの車両は 21M級の大きな車両が連なる。クロスシートも設置され、トイレもある。
近鉄名古屋線の急行停車駅
以前、関西本線に乗ったとき、冬空に明ける空が美しく、やけに感動を覚えたことがある。
実は、近鉄名古屋線は同様のルートを経て津に至るのだが、今回の場合は全く土曜日の午後の風景だった。 高校生が帰宅するのか、練習試合に向かうのか、おばちゃんの買い物風景なのか、沿線小旅行なのか。 ここまで生活染みた私鉄沿線の姿を見る限り、やはり国内旅行は楽しいなと思う。 コンビナートが美しいのと、大河となった長良川、揖斐川が伊勢湾へと注ぐ景色を日中の姿で 見ることができる。トラスの鉄橋越しに大河が見ることができたところで、三重県に突入する。 夢の中のようなデジャヴを感じる。大河を見ると心が和むのはやはり、荒川・中川の流れを想うから だろうか。
途中、伊勢若松で後発のビスタカーの通過待ちを食った。しかし難波に行く特急では 無いことぐらいは時間差で分かる。ビスタカー狙いでカメラを構えるも、ロックが掛かっていて撃沈。 とうとう名阪特急の停車駅である津に到着した。ここで、特急に乗り換えるべきか迷った。 もう少し停車時間があれば、券売機で様子をうかがうことができたのだが・・・。 「大阪線の快速特急ならば鶴橋まで逃げ切れる」 と心はそう言っていた。
後発の特急ビスタカー賢島行きに抜かれる・・・(写真は後追い)
確信はないが、根拠が無いわけではない。その昔、こども時代に見た私鉄特急の写真集に 「特急と快速急行の停車駅の違いは3駅で・・・」 と書いてあったような気がして、これは行かねば!と妙な使命感にとらわれ、伊勢中川に向かうことにした。 (後で気づいたことだが、奈良線の話だった。) 近鉄車の水洗トイレは臭い。
死ぬまでに一度は見てみたかった、伊勢中川の名阪連絡線と電車は分岐した。 連絡線は築堤を右へカーブし反れていく。 大きくカントをとってあるからなのだろう、傾きぶりがよく分かる。 伊勢中川着。 少し休憩がほしかったが、間髪入れずに宇治山田からの快速急行がホームに入ってきた。 これを逃すと、18:00大阪入りは難しくなる。
伊勢中川は中線に快速急行が入った。駅をよく観察したかったが、またの機会とし、列車に乗り込む。
またしてもクロスシート車だった。大阪まで寝る気満々だった。 しかし、頭ではいくら上本町に行くということが分かっていても、疑わしかった。 そして、潜在的にどうしても景色を目に焼き付けなくては気が済まなかったこともあるから、 なおのこと、眠れない。
もっとゆっくり伊勢中川を堪能したかった!
ラビットカーで一気に鶴橋まで行く
榊原温泉口まで駅間があった。山間部のひっそりとした無人駅だった。電車が発車したころ、 乗務員が精算をすると言ってきた。車端部でお辞儀をするあたりは、東京ではありえない光景である。 ここでようやく、鶴橋までの切符に精算した。特急に乗っていたら、倍近く料金が掛かっていたことを 思うと、これでもよかったとも言える。
停車駅案内を見ていると、なんと榊原温泉口から名張までは各駅停車だ。 18:00の大阪入りは絶望的になった。追い討ちをかけるように東青山で後発の特急に抜かれる。 アーバンライナーを撮るべくカメラを構え、ピントを合わす。 しかし、またしてもロック・・・。 ひんやりとした空気が心地よい。それにしてもこの駅、山過ぎる。 乗ってくる乗客はゴルフ帰りのおやじ連中だ。ここから、かの有名な新青山トンネルだ。 山越えの魅力を私鉄で味わえるのは嬉しい。函南のトンネルと大差ない。このトンネルも長いのだ。 ようやく西青山に到着した。ここからはしばらく下りが続き、平地に出たり、山間部を走る。
伊賀神戸に到着すると、ここで伊賀線待ちの時間調整があった。飲み物を買い、車外で一服。 桔梗ヶ丘は奈良だと思い込んでいたが、実は三重だった。しかしこんなところにも住宅があり、 ここから大阪に通うには根性が要るなと思った。なんとなく田園都市線のつきみ野に似ている。
名張から急行運転に入った。この辺りで寝てしまったらしい。あんまり覚えていない・・・。 起きたのが、大和八木だった。ここでは停車時間がむやみに長かった。特急をやり過ごすのと、 京都、橿原方面からの電車の連絡もあるのだろう。 五位堂から鶴橋までノンストップだ。それにしてもこの電車、これだけ駅を通過するのにも関わらず、 乗客が乗っているのだ。需要があるらしい。不思議な感じだった。東京でいうなら、小田急線が 新百合ヶ丘から下北沢までノンストップで走っているようなものだからだ。
約束の18:00は過ぎる気配だったが、乗務員のアナウンスに18:13に上本町到着とあった。 鶴橋につく見当がつき、なぜか安心した。布施で奈良線と合流するが、駅の構造は興味深い。そして複々線になる。 電車も先行列車で閉塞づまりをしていた。 ようやく鶴橋着。待ち合わせの先方は布施寄りにいた。
ホームを見ると、噂どおり、大阪には整列乗車の習慣がない。 そして噂どおり、鶴橋は焼肉の街らしい、「焼肉の臭いがするホーム」だった。
途中数度特急の通過待ちを食ったことで、アーバンライナーに無理をしてでも乗るべきだと 思った。名古屋から所要時間3時間以上。全線通しでは2度と乗らないだろう・・・。
こんどはアーバンライナーで来ることを心で固く誓い、先方から 焼き肉をごちそうになり、ビールとともに大阪の夜へと落ちていき、気づいたら梅田のカプセルホテル というオチだった。