私事争論


※このコーナーのコンテンツに関しては軽く受け流してください。
第一回:見えない敵
第二回:メイク・ラブ
第三回:マニアから見た場合
第四回:プロ野球再編問題に私は思う
第五回:緊急論題・尼崎事故〜列車の安全とダイヤ


第一回:見えない敵

ということで、第一回目が始まりましたが、私がよくみるTBS系のNEWS23にちなんで、 日中考え事をした結論をさらに鑑みるコーナーとして位置付けました。
さて、今日は土曜日ですが、あいにくの曇り空。布団を干したかったのですが、雨も降っているようなので、できません。
私は花粉症ですが、何で花粉症なのかと言うことを考えました。 同じ環境で生活する御近所の人も花粉症になっているわけではなく、 東京都衛生局のホームページをみても、城東地域の花粉量は少ないとのこと。 では、なにか?業か?そうだとすれば、同じく花粉症の人を見ればいいのか、と言う結論になる。 花粉症のひとの傾向とは?性格に依存するとすれば、それは大変なことになる。

花粉症占い・・・?そんな馬鹿な。だけど、今にそんなものもできるでしょう。山手線占いが あるぐらいですからね。

私事争論でした。
00/04/15(Sat)


第二回:メイク・ラヴ

※今回は「〜だ」調です。

こういう話題には本来、触れるべきではないのだろう。しかし、このホームページのコンテンツは 相変わらず中途半端で、どのコーナーにも野郎臭さがある。

 さっそく本題に話を移すと、最近私は本を買った。池袋の大きな本屋で、検索してもらってまで買った本だ。 そのタイトルは「地図を読めない女/話を聞かない男」と題するものだった。無論女性の方にもお勧めであるが、 男性諸氏は、なおさら読んでおくべきだ。それほど勧めるにはそれなりの理由がある。しかし私は販売員ではないので、 紹介程度に勧める。

 昨今、あらゆる差別の壁が壊され、徐々にタブーというものが薄れ始めた。とりわけ、男女の間は政治的にも社会的にも 「差」と言われるものがなくなって、社会へ女性が進出するというケースも今日ではよくあることである。 それは、職業選択の自由を訴える人や、女性運動者が中心となり、確立されたものである。中学校でも、 高校でも、「男女は平等だ」ということを習ってきたし、また、それが正しいというのが通説である。

ところがこの本は、いわゆる「男女差別」の捉え方を脳生理学的から問い直すもので、 「男と女」は「違う」と言うことを説いている。当然だが、どちらが良いか悪いかではないということである。 内容は読んでいただければわかるが、男女の脳の構造の違いを挙げる。繰り返すが、良いか悪いかではない。 人間が誕生してからの男の役割、女の役割について、本質的に生きる上で何を求めているか、 パートナーへの愛し方、セックス、行動パターンなど。



私が印象に残ったのは、まず視野についてである。女の人は近距離が見え、また視野が広いということ、 男は見とおしがよく、空間に対しての感覚が鋭いということであった。また肌の感度も男が鈍感に対して、女が敏感で あるということである。

 そして、お題にある「メイクラブ」についてである。男はほぼ日常的に「セックス」を思い描くが、男である私が驚いたのは 女の人は「関係」というものを最優先順位としているようだ。言いかえれば、女の人が望むものは「メイクラブ」である。 「メイクラブ」といわれて何のことだかわからない男はいないはずだ。しかし、得てして男は、女もおなじように「セックス」を 求めていると勘違いしてしまうものであり、テクニックの追求に余念がなくなる。つまるところ、男は女を満足させ、 「よかった」と言ってもらい、「自分が役に立った」と感じることに幸福を感じるのである。

で、あるならば、「よかった」と言ってもらえるためには「女の人を良く知る」ということが近道である。 この本には具体的な事例もあったりして、それがすべてとは言えないが、理論としては重要なことが書いてある。 鵜呑みは「本に読まれるな」との通り、バカを見ることになるが、男は理論を知りたがるという、本質から言えば 止むを得ないことでもある。

 また、女の人にも彼や好きな人の「本音」を知りたいということであれば、一読の価値はある。 というのは、この本は夫婦共著なので、男の押し付けではないし、理論ばかりじゃなくてわかりやすく、簡単なテストや、 カップルや夫婦の例もとり挙げられ、結婚のことや、どうしたら「愛してくれる自分になれるか」などがある。


さらにゲイやレズビアンについてもあったが、私は、彼らに対しても同情を抱けるようになった。また、 「こういう理由で失敗したのか」とか、私の中で謎になっていた「怒っていた理由」もわかり、 まだ私の中での結論が出ていないが、女子高生の奇怪な行動もわかるような気がした。 男としての自信を取り戻し、これからは気の利いた、いい男になりたいとなりたいなと正直に思った。 また、保健体育の授業のあとの、あの妙な心境である。


この本を買ったのは木曜日。電車にあった中吊りをみて買ったのだが、 「俺はフェミニストになったのか?」とド勘違いをし、そして、この本に洗脳されたと感じる昨今である。

私事争論でした。
00/04/29(Sat)


第三回:マニアから見た場合

諸般事情により(というより自己都合)のため、しばらくこのコーナーの手入れを忘れていました。

誰でもそうですが、混んでる電車はいやなものです。
最近私がよく乗る朝ラッシュの電車で、空いている車両を発見しました。
その車両では、ピーク時だというのに、新聞が余裕で読めるくらいです。
毎日こうだとうれしいなと思いますが、ちょっとでも遅延が発生すると、そうもいかなくなります。

私は、朝の貴重な時間を考えて、混んでいるのを妥協して乗りますが、中には
少しでも空いてる車両、座れる座席を狙って、始発の駅まで迂回をして整列乗車をしたりする人もいます。

私は、一鉄道オタクとして、通勤路線の混雑の改善方法を考えたり、時には紙に書いたり、図にしたりします。
場合によっては、図書館や本屋に行って、データの収集をしたりもします。

しかし、自分が列車ダイヤの製作に携わる仕事が出来たとしても、難しい問題があります。 マスコミ沙汰になることもよくありますが、電車内でのマナーというのが最近よく言われたりします。
足を広げてデカい態度で、我が物顔で自分のスペースを確保する、若者に限らず見る光景です。
電話もその例でしょう。
車掌がアナウンスしても、どこ吹く風と言った具合で、かかってきた電話じゃなくて、わざわざ相手に電話をしている
女の子もいたりします。
まぁ、「お互い様」ということで我慢をしてきたのが、これまでの日本人だったと思います。

シャカシャカ音が気になり、注意をしたがそれが尺にさわり殴られた、なんて事件もあったりしました。
電話もしかり、大きな声で喋ったり、騒いだり、座席で足をバタつかせたり、何しろ耳につく。

日本の列車事情を考えると、これまでの鉄道技術は、私鉄各社の研究や開発がある意味でリードしていたと思います。
鉄道総研は、旧国鉄系なので、やはり本当に必要なものが研究されていない、つまり、大衆が乗る通勤電車よりも
特急列車だとか、リニアモーターだとか、自動改札だとか、あってもなくてもいいような技術の改革をやっていたように
思います。確かに、研究題材は、科学技術の発展という意味合いではいいのかもしれませんが、私にはなぜかそれが
政治臭く、なおかつ事務屋的な発想なんだなと思ったりします。

本当に必要なのは、混雑の緩和や高速化のためのシステムではないでしょうか。
ここでいう高速化というのは、あくまで大衆向けの通勤電車であって、決して新幹線やリニアのためではありません。
JRはかつて、103系という車両を首都圏各路線にばら撒いていました。
加速度が低い、モーター音が大きい、電力消費量が高い。要するに、電力を喰う割にはそれに見合った走りをしていない、
ということです。103系は見た目には当時としては斬新な車両で、その後に出てきた車両に大きな影響を与えていますが、
それはただ単に見た目だけのように思います。東急は、ほぼ同時期に無塗装のオールステンレスの軽量の車両を出しているし、
営団地下鉄は加速度の高い高速運転に見合った車両の開発をしていました。
103系が登場してから、もう40年近くになりますが、ほぼ同性能の加速度をもつ車両をいまだ設計しているため、
当然列車ダイヤも、あいも変わらず、山手線はダラダラ走り、総武線では列車遅延が絶えないという現状をもっています。

40年前若者だった人々は、モーター音がうるさいだけのダラダラ走る通勤電車にのり、何十年とストレスをためてきたわけです。
モーター音がうるさければ、喋る声もうるさくなるし、ダラダラ走って目的地までの時間が長くなれば、精神的にも良くはありません。
中には、何十年と刷り込まれたこの「ストレスを発生させる場所」というものに死に場を求める人もいたり
ストレスの象徴とも言うべき個所であり、ある意味で人間を不幸にさせている場所なのです。

確かに鉄道は、公共物であるので、「我慢するべき場所」でもあるのでしょう。
しかし、それに甘んじて改善しようとしない鉄道会社はどうしたものでしょう。
小手先の「女性専用車両」(これを実施した京王はまぁ、偉いと思うが、二番煎じのJRは気にいらない)
とか、そんなことではなく、きびきび列車を走らせ、しかも安全に乗客を運ぶということに徹してもらいたいものです。
お金をもらっている以上、そのあたりをよく考えて欲しいです。

信号機のシステムを改善して、列車間隔を縮めろ!!!

と、いうことで、今回は終わります。

私事争論でした。
01/06/29(Sat)


第四回:プロ野球再編問題に私は思う

プロ野球のオリックス・近鉄の合併問題から端を発し、球団オーナーの強行とも取れる、 1リーグ制への移行が社会問題になっている。選手会が掲げる要求に対して、講義・交渉 委員会の交渉如何によって、ストライキを行うことになっていたが、交渉の結果、本日9/10、 古田選手会会長の決断によって、ひとまず回避の方向になった。

世論はどうだったのか、というと球団合併そのものの反対、1リーグ制への反対、これらが 混ざった意見が大半を占めているようだ。 また、一連の問題を報じるメディアも考え方がバラバラである。 どのメディアもストそのものには反対であったが、その発想の出所に相違があった。

大半のメディアは球団を減らすこと自体に反対であり、プロ野球球団の体質に対する疑問を 投げかけたり、余剰となった選手の労働権に触れていることと、選手ありきのプロ野球であ り、要求(現状維持や、新球団の新規参加を含む)がのまれ、多くの選手やプロ野球ファンが 望む方向を支持している。

それに対し、読売系列のメディアである日本テレビや読売新聞では、スト決行時の経済的損 失や、選手会の取った行動が正当な行為であったのか、という疑問を投げかけている。

当然、言論は自由であるから何を書こうが、報じようがそれ自体は自由である。
報じた元はその見識を露にすることになるが、今回、読売系メディアが報じた見解・内容に ついて、私は「アホ」「最悪」と評価したい。

なぜなら、9/9付けの新聞記事には、選手を高額所得が個人事業者、と位置付けていること、 テレビでは、スト予定だったイースタンリーグのゲームの準備に懸命であった開催球場であ る足利市やゲーム観客輸送を担う、はとバスがストを懸念していたことについて報じた。 それ自体は、ストによるゲーム中止の影響を蒙る側の支持なので、誤りはないし、気の毒に 思える内容だ。だが、今こそ球団上層部の独走を食い止めなければならないこの時期に、 なぜそのようなことを報じるのか、不自然な感じを抱いたからだ。

メディアが全て同じ内容を報じることは、異常な話であるし、異なる角度の意見がある ことはごく自然なことだし、それが民主主義である。
しかしその言論は、個人であれ、団体、法人であれ、読者・視聴者が多ければ多いほど、 その影響力は大きいということは、これまた当然である。

記事自体は公平であるが、これらの読売グループの報道を知るにつけ、ある臭味を感じて ならない。ある、とはなにかと言動に注目があつまる読売ジャイアンツの渡辺恒夫・前オ ーナーである。

私は、氏の意見に対しては否定的である。昔からアンチ巨人であるが、さらにアンチを 助長したのは、ドラフトから何から、手段を問わない氏のやり方があまりに乱暴に感じる からだ。 「パ・リーグに巨人が移ってもいい」と相変わらずの無茶苦茶な発言をした。
パリーグに巨人が移るのは面白いと思う。日ハム×巨人を公式戦で見てみたいとすら 思っているぐらいだ。しかし、別に巨人がパリーグに行くのをとやかくを言うのではない。 あれほど1リーグ制をうったえていた氏が、巨人のドラフトに関する裏金問題をきっかけに オーナーを辞任したとたん、2リーグ制を支持しだし「実は・・・」という発言に切り替わっ たこと、選手会の署名活動には「大衆に迎合するようなことはやめたまえ」と言いながら、 世論に迎合するかのように急に2リーグ制を持ち出したからだ。

どうも絶対的権力で気に入らない。 彼の発言がグループに対し、影響が高いことはいうまでもないが、公共性が高いメディアの 使命として、「民衆が望む声の代弁」「民衆が必要とすべき、真実をつたえる正しき報道」 ということが本質かと思われるが、プロ野球再編に関する記事も社説も、氏に気に入られる ような記事の内容にしか見えない。すなわち、氏のわがままがまかり通っている証左である。

絶対的な指導者が介在するにしても、誰もが納得の行く記事ならまだよい。
真実を報じるならばまだよい。しかし、一個人の保身ともいえるわがままに迎合するメディ アとはどういうものなのだろうか。
たとえば、戦争を賛美するような邪な指導者ならばどうなるのか。
人権を踏みにじり、嘘で固めるような指導者ならばどうなるのか。
自身の信念は結構にしても、その信念の出所は何なのか。
民衆の側に立てない新聞はもはや、メディアとは言えないのだ。
売れればいいのか、民衆を小バカにするつもりなのか。

ストは労働者の伝家の宝刀でむやみに抜くものではない、と私の人生の師匠の師匠は言った。 メジャーリーグのストの教訓から学ぶものは多い。ファン、選手ありきのプロスポーツなのだ。 ストという言葉を出させた、球団オーナーの責任はあまりに重い。新規参入をしやすく制度の 改変をして、プロ野球を魅力的にしてほしい。凝り固まったものでは発展はない。

最後に、私は読売新聞を定期購読している、ということを付記し最後とする。
私事争論でした。
04/09/10(Fri)


第五回:緊急論題・尼崎事故〜列車の安全とダイヤ

兵庫・尼崎でおこった列車転覆脱線事故が事故発生以来、ニュースではトップにのぼっている。
死者が100名を超し、まずは亡くなられた方へのご冥福を祈ります。

今回の事故原因はさまざまあろうが、今日多々見られるサービスと安全の両立、 という観点で私なりに論じてみたいと思う。

日本の列車のダイヤは周知のとおり、分刻み、秒刻みで緻密にくみ上げられている。 一方で、緻密なダイヤの設定に至るその背景を考えたとき、それは 乗客獲得のための積極的なサービス展開の結晶と解釈しうることができる。

筆者は列車ダイヤマニアとして、ある種、その緻密さを芸術的なものとして賛美している。 ここ10年、全国的に鉄道ダイヤの見直しなどによって、劇的にサービスが向上した。 新規路線の開業、複々線化、長編成化などが各鉄道会社で完了の時期を迎え、 これに見合ったダイヤを設定することができるようになり、これが大きく鉄道業界の サービス向上に影響を与えた。 またメディアの発達によって、インターネットなどで列車ダイヤを論ずるサイトも (拙サイトでの提言もその部類に入るが)数多く出て、鉄道事業者にとって参考となる ような意見もあり、私鉄でいえばダイヤ改正は3〜4年に一度だったものが、このところ そのサイクルが1〜2年に縮んでいる傾向にある。

航空業界では、価格、サービス競争が激化し、その末の品質の劣化から、事故、 不祥事につながるケースがこのところ多々見受けられる。
筆者は今回のこの脱線転覆事故から、何かこれらに共通するものがあるのでは ないかと考えた。

関西の鉄道会社はJR、私鉄ともに、路線が競合している部分が多い。
大阪−神戸のいわゆる阪神間では、阪急、JR、阪神が大阪湾と六甲山地に挟まれた わずかな平地を走る、という地形的制約のために全線に亘って似通ったルートを経由 せざるを得ないという事情がある。

今回の事故の起きたJR西日本の福知山線(JR宝塚線)は、大阪−宝塚で阪急宝塚線と 競合している。かつては、福知山線は一ローカル線に過ぎなかったが、電化・複線化に よって競争が激化し始めた。乗客獲得のため、JRはダイヤ改正の毎に所要時間の短縮 を達成した。片や阪急はサービス競争を離脱し、途中停車駅見直しなどによって、沿線 サービスに力を入れはじめていた。

東京の鉄道路線にも幾多もの競合が見受けられるが、途中ルートが異なるため、乗客確保の 観点では、それなりの棲み分けになっている。
たとえば、湘南新宿ラインと東急東横線が典型で、互いに渋谷と横浜を結ぶものの、 経由地はまったく異なり、東急は自由が丘、武蔵小杉、菊名の丘陵沿いを走るのに対し、 湘南新宿ラインは大崎を経て(駅は設置されていないが)鶴見を経由して横浜に至る。

東京圏以外では、大都市と中小都市を高速にフリークエントに結ぶことをテーマとして、 各鉄道はダイヤを設定している。JR西日本は各私鉄との競争のなかで、自社路線の広範囲に 及ぶ路線網のスムーズな連携を売りにしていた。「アーバンネットワーク」と路線図に 記載されていることからも分かる。

以前、営団地下鉄(現:東京メトロ)日比谷線中目黒で起きた脱線衝突事故が起こった直後、 メディアはこぞって「列車ダイヤの過密」を指摘していた。今回の事故直後もメディアは ダイヤの過密さを指摘することを言っているが、密度が低くなれば事故がなくなる、という 安易なものではない。 ダイヤの過密は混雑の緩和のためには必要不可欠な措置であり、列車の本数を増やしても、 所要時間を増やさないようにすること、乗客の安全を保障しうるハード面、ソフト面で の対策や工夫をしていくことが長年、鉄道各社、関係省庁が頭を抱えているテーマでもある。

他方、連日メディアで報じられる内容も事実を伝えきれてないように思う。
鉄道業界を擁護するわけではないが、何か不自然に公共交通機関が危険なものであるような ことを訴えているようにも思える。
言葉の表現の問題だろうが、この事故は「過密」が原因ではない。
メディアは一断面を斬ってこれを由としているきらいがある。浅はかな批評はまず止めるべきだ。 また、今はJR西日本に怒りの矛先が向いているが、今後どうなるかも「受けの良い」世論 に流されて報じられていくような気がしてならないのだ。

今回の事故の主たる原因は、運転士が列車の遅延を回復に躍起する余り、過度のプレッシャーから 判断を誤った、と筆者は考えたが、主たる事故原因は概ねその方向で固まりつつある。

停車時分設定で、乗降客数の多い宝塚でしかも朝ラッシュ時に設定されているのが15秒であった。 15秒、というのは通常では日中など、閑散時間帯の乗降が少ない駅で設定するもので、衛星都市の 宝塚であるならば、少なくとも40秒の余裕を見越さなくてはならない。

電車の運転は車の運転とは異なり、ある時間枠や速度制限のなかで決められたダイヤ通りに運行する、 という制約があり、運転経験の浅い運転手にとっては相当な負荷となる。私たちが通常の徒歩、 自転車、車で行く先々で仮に上限速度が設定されていたとき、目的地に向かうのに難しいと感 じるのと同じこととなる。

ブレーキの加減も訓練を受けているとはいえ、車の運転に比べれば難易度が高く、ブレーキを かけるタイミングは、経験に裏打ちされている。福知山線のようなカーブが多く、加減速を繰 り返すような路線では、ブレーキ−のタイミング、加速のタイミングによっては、減速しすぎ などでロス、つまり遅延が発生しやすいのである。ダイヤ設定では、カーブの速度制限も考慮に 入れて設定するが、運転難易度の高い路線では、些細なロスも遅延につながるリスクが高いの である。

また関西の鉄道ダイヤは合理的にできていて、ムダな待ち時間や運転調整を短くするように設定 する傾向がある。事故の当該列車は尼崎で神戸方面からの大阪・京都へ至る列車と接続をする予定で あった。そのためには、駅間のスピードアップだけでは調整がつかず、駅での停車時間を 短くすることで、多少のリスクはありながらも運転手に負荷がかかるような「アーバンネット」を 設定したのだろう。

このように一見便利な鉄道ネットワークであるが、一方では歪みとして、運転手に負荷を強い てしまう路線も発生してしまっていたのである。JR西日本は、福知山線に対しダイヤの見直し をする、という発表をしたが、これからはJR西日本は「アーバンネットワーク」は乗客を速く 運ぶ、ということのみに執着せず、安全品質も考慮にいれていかねばならない。 それでもスピード運転に固執するならば、やはりそれなりのハード面(保安装置のATS-Pへの変更、 カーブでの速度制限の見直し)での投資をしなければ、こうした事故や惨事というものが後を絶た ないであろう。

利益優先、これを連日のメディアが報じているが、なによりまずは無事故・安全が最優先である。 鉄道業界、交通業界に限ったことではないのだ。ともすると自身が加害者となりかねない。 「小事つもりて大事となる」これを忘れず、お互いに気をつけていきたいものだ。

私事争論でした。
05/05/03(Mon)